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5月1日の「メーデー」と、11月23日の「勤労感謝の日」。どちらも「働くこと」に関係する日のようですが、この二つの具体的な違いについて、ふと疑問に思ったことはありませんか?

メーデーはデモ行進のイメージがあるけれど、勤労感謝の日は祝日でお休み...。なぜメーデーは祝日ではないのか、勤労感謝の日にはどんな由来があるのか、そしてアメリカではどうなっているのか。

この記事では、似ているようで全く異なる二つの日の「違い」について、その起源や歴史、社会的な役割(意味)を分かりやすく、そして深く解き明かしていきます。

記事のポイント
  • メーデーと勤労感謝の日の根本的な違い
  • 「権利要求」のメーデーの起源と歴史
  • 「収穫感謝」が由来の勤労感謝の日の意味
  • メーデーが祝日ではない理由や関連する疑問

メーデーと勤労感謝の日の違い早わかり

まずはじめに、「メーデー」と「勤労感謝の日」の最も大きな違いを表で確認してみましょう。この二つは、日付や祝日かどうかという表面的な違いだけでなく、その成り立ちから目的、そして現代社会における役割まで、根本的に異なる背景を持っています。

比較項目メーデー
(May Day)
勤労感謝の日
(Labor Thanksgiving Day)
日付5月1日11月23日
法的地位「国民の祝日」ではない「国民の祝日」である
起源1886年 米国シカゴの労働デモ
(8時間労働制の要求)
日本の宮中祭祀「新嘗祭(にいなめさい)」
(収穫への感謝)
目的・趣旨労働者の権利主張、団結、
労働条件の改善要求
勤労をたつとび、生産を祝い、
国民たがいに感謝しあう
主な活動労働組合の集会、デモ行進、
イベント
特になし
(休日として過ごす、感謝を伝えあう)
性格闘争的・政治的・国際的
(下から上への権利要求)
文化的・調和的・国内的
(上から下への制定、相互感謝)

このように並べてみると、同じ「労働」に関連する日でありながら、そのベクトルが全く逆であることがお分かりいただけるかと思います。メーデーが「労働者 vs 使用者」という対立構造の中で権利を主張する日であるのに対し、勤労感謝の日は「国民同士」が互いの働きに感謝しあう日なのです。

メーデーと勤労感謝の日の違い早わかり
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メーデーの起源は「権利要求」

メーデーの歴史を語る上で欠かせないのが、19世紀後半、産業革命が急速に進んだアメリカの過酷な労働環境です。

1. 産業革命下の劣悪な労働実態

当時、工場や鉱山では、利益の追求が最優先され、労働者の人権は二の次でした。特に大きな問題となっていたのが「長時間労働」です。

1日12時間から14時間、時には16時間といった労働が常態化しており、週に6日、あるいは休みなく働くことも珍しくありませんでした。これは男性だけでなく、女性や、ときには10歳にも満たない児童までもが、危険で不衛生な環境下で働かされていたのです。

安全配慮も不十分で、機械による事故が多発しても補償はほとんどなく、労働者はまさに「使い捨て」のような状態にありました。賃金も低く抑えられ、労働者たちは「生きるため」に、その過酷な労働を受け入れざるを得ない状況に追い込まれていたのです。

2. 「8時間労働制」を求める闘い

この非人道的な状況に対し、「人間らしい生活を取り戻したい」という労働者たちの切実な願いが、一つのスローガンを生み出します。

「8時間は仕事のために、8時間は休息のために、8時間は自分の好きなことのために」

これは、1日24時間を3等分し、労働(仕事)だけでなく、休息(睡眠)と自由な時間(教養、余暇、家族との時間)を確保しようという、「1日8時間労働制」を求めるスローガンでした。

この要求を実現するため、1886年5月1日、アメリカ・シカゴを中心に、労働組合の連合体が「ゼネラル・ストライキ(全国的な大規模ストライキ)」を決行しました。数十万人の労働者が仕事を放棄し、デモ行進に参加したとされています。

3. ヘイマーケット事件と国際化

この運動は、平和的なものばかりではありませんでした。ストライキが続く中、5月3日には工場のスト破り(ストライキ中に働く労働者)とスト参加者の間で小競り合いが発生し、警察の発砲により死傷者が出ます。

これに抗議するため、翌日の5月4日、シカゴのヘイマーケット広場で抗議集会が開かれました。集会が終わりに近づいたころ、何者かが警官隊に向かって爆弾を投げ込み、爆発。これに対し警察も発砲し、多くの労働者と警察官が死亡するという大惨事が発生しました。これが「ヘイマーケット事件」です。

この事件の首謀者として、労働運動の指導者(多くは無政府主義者=アナキスト)たちが逮捕され、証拠不十分のまま死刑判決が下されました(後に冤罪であったことが指摘されています)。

使用者側や政府は、この事件を「労働運動=危険な思想」と結びつけて弾圧を強めましたが、逆に、この弾圧と犠牲は、世界中の労働者や社会主義者に衝撃を与えました。

1889年、フランス革命100周年を記念してパリで開かれた「第二インターナショナル(国際的な社会主義・労働運動の組織)」の設立大会において、このシカゴの闘いと犠牲を追悼し、労働者の国際的な団結と8時間労働制の実現をアピールするため、1890年5月1日を「国際的な労働者の記念日」とすることが決議されました。

これが、メーデー(国際労働者の日)が5月1日とされる直接の起源です。それは、労働者が自らの血をもって「人間らしい生活」を勝ち取ろうとした「闘争」の記念日なのです。

メーデーの起源は「権利要求」
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勤労感謝の日の由来は「新嘗祭」

一方、11月23日の勤労感謝の日は、メーデーのような血なまぐさい闘争とは全く無縁の、日本古来の文化と儀式にそのルーツを持っています。

1. 稲作文化と「新嘗祭」

勤労感謝の日のルーツは、「新嘗祭(にいなめさい、または、しんじょうさい)」と呼ばれる、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし=皇室の儀式)です。

「新嘗」とは「新しい穀物を味わう」という意味があります。古来、日本は稲作を中心とする農耕社会でした。米は単なる食料ではなく、文化や経済、そして信仰の中心であり、その年の収穫は国家の繁栄そのものを意味していました。

新嘗祭は、その年に収穫された新しい五穀(米、麦、粟、黍、豆など)を、天皇がまず天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする神々に捧げ、その恵みに感謝し、そして天皇自らもそれを食する(神々と共食する)という、日本で最も重要とされる収穫感謝祭でした。

『日本書紀』にも記述が見られるほど古くから続く儀式であり、国家と国民の安寧、五穀豊穣を祈る、天皇の最も重要な務めの一つとされてきたのです。

戦前(明治時代以降)は、この新嘗祭の日(11月23日)は国民の祝祭日として定められており、国民全体で収穫の恵みに感謝する日となっていました。

勤労感謝の日の由来は「新嘗祭」
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2. メーデーとの根本的な違い

ここでメーデーと比較してみると、その違いは明らかです。

メーデー:
工業化社会(資本主義)の矛盾から生まれた、労働者による「権利の要求」。対象は「使用者(資本家)」であり、手段は「ストライキ(闘争)」。

新嘗祭(勤労感謝の日のルーツ):
農耕社会(稲作文化)から生まれた、国民による「収穫への感謝」。
対象は「神々(自然の恵み)」であり、手段は「儀式(祈り)」。

メーデーが「人間(労働者)対 人間(使用者)」の水平的、あるいは下から上への要求であるのに対し、新嘗祭は「人間 対 神(自然)」という垂直的な感謝の儀礼です。この二つが、現代日本において「労働に関連する日」として並立しているのは、非常に興味深いことだと思います。

メーデーの目的と日本の現在

メーデーの「権利要求」という精神は、日本にも受け継がれ、時代とともにその姿を変えながら現代に至っています。

1. 日本におけるメーデーの歴史

日本で最初のメーデーが開催されたのは、1920年(大正9年)5月2日(日曜日のため1日ずれた)のことでした。東京・上野公園に約1万人の労働者が集まり、「8時間労働制の確立」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを要求しました。これは、大正デモクラシーという自由な風潮の中で、日本でも労働者の権利意識が高まってきたことの表れでした。

しかし、その後、治安維持法の制定や軍国主義化が進むにつれ、労働運動は厳しく弾圧されます。1936年(昭和11年)の二・二六事件を機に、メーデーの開催は禁止され、その声は一度途絶えてしまいました。

2. 戦後の復活と「血のメーデー事件」

メーデーが復活したのは、敗戦翌年の1946年(昭和21年)です。「食える賃金を」「民主人民政府の樹立」といった、戦後の混乱期における切実なスローガンが掲げられ、労働運動は爆発的に活発化しました。

この時期のメーデーは、単なる労働条件の改善要求に留まらず、戦後日本の進むべき道をめぐる、極めて政治的なイデオロギー対立の場でもありました。

その緊張が最高潮に達したのが、1952年(昭和27年)5月1日の「血のメーデー事件」です。この日は、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領から独立を回復したわずか3日後でした。独立に反対し、占領軍(米軍)の撤退を求めるデモ隊の一部が、使用が禁止されていた皇居前広場に侵入しようとし、警察隊と激しく衝突。双方に死者・多数の負傷者を出す大惨事となりました。

この事件は、戦後日本のメーデーが「お祭り」ではなく、時には命が失われるほどの真剣な「闘争の場」であったことを象徴しています。

3. 現代のメーデー:「祭典化」と「組織率の低下」

しかし、高度経済成長期を経て、労働者の生活水準が向上し、かつてのメーデーが持っていた切迫した「闘争」の色合いは、現代では大きく変化しています。

もちろん、今でも労働組合の連合(日本労働組合総連合会=連合 や 全国労働組合総連合=全労連など)が主催し、賃上げ、長時間労働の是正、非正規雇用者の待遇改善、ジェンダー平等など、現代的な労働問題の解決を求める集会やデモ行進が行われています。

一方で、特に「連合」などが主催するメーデーでは、「働くすべての仲間の祭典」と位置づけられ、家族連れでも参加しやすいように、ステージショーや子ども向けの企画、物産展などが併催されることが多くなりました。SNSや動画配信を活用した「メーデーの見える化」など、広報活動(フェスティバル)としての側面が強まっています。

この「祭典化」「ソフト化」の背景には、日本の労働組合の「推定組織率(雇用者に占める組合員の割合)」の長期的な低下が関係していると私は考えています。

厚生労働省の調査によれば、2024年(令和6年)の推定組織率は16.1%となり、過去最低水準が続いています
(出典:厚生労働省『令和6年労働組合基礎調査の概況』)。

組合員数が減り、「ハードパワー(動員力)」が低下する中で、メーデーは政治的なデモンストレーション(示威行動)から、広く社会的な関心を喚起し、まだ組合に加入していない人々や市民との連帯を目指す「ソフトパワー(広報・連帯活動)」へと、その戦略的な重点を移さざるを得なくなっている、というのが現状ではないでしょうか。

勤労感謝の日の意味と制定背景

メーデーが時代の変化と共にその姿を変えてきたのに対し、勤労感謝の日は、その制定の瞬間に大きな「断絶」と「意図的な変更」を経験しています。

1. GHQによる国家神道の解体

前述の通り、11月23日は戦前まで「新嘗祭」という天皇の祭祀であり、国民の祝祭日でした。この意味合いが根本から変わったのは、第二次世界大戦敗戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による占領期です。

GHQは、日本の民主化・非軍事化政策の一環として、日本の軍国主義の精神的支柱であったと見なした「国家神道」を解体することを目指しました。国家神道とは、天皇を現人神(あらひとがみ=生きている神)とし、神社神道を国家の祭祀として国民に事実上強制した体制のことです。

この文脈において、天皇が自ら斎行する「新嘗祭」は、国家と神道、そして天皇の神格化が強く結びついた、国家神道的な色彩が最も濃い祭日の一つであると見なされました。

2. 「祝日法」による「新嘗祭」から「勤労感謝の日」への転換

1948年(昭和23年)に、戦後の新しい「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が制定されました。このプロセスにおいて、GHQは新嘗祭をそのまま国民の祝日として残すことに難色を示したと言われています。

しかし、11月23日は「収穫に感謝する日」として、古くから国民の生活に深く根付いていました。この日付自体を廃止してしまうことへの抵抗も大きかったため、一つの「政治的判断」がなされました。

それは、「11月23日という日付は維持しつつ、その意味合い(趣旨)を、宗教的なもの(新嘗祭)から、世俗的なものへと根本的に置き換える」という方法です。

こうして、「新嘗祭」という名前は祝日法から消え、代わりに同日11月23日に「勤労感謝の日」が新設されました。祝日法第2条は、その趣旨をこう定めています。

「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」

この条文は、非常に巧みに作られています。

  • 「新嘗祭」が持っていた「収穫(主に農業)」への感謝を、「生産(工業・商業などすべての産業)」を祝うことへと拡大・一般化しました。
  • 「神々」への感謝という宗教的な行為を、「国民たがいに感謝しあう」という水平的な(世俗的な)行為へと置き換えました。
  • そして、「勤労をたつとび(尊び)」という言葉を加えることで、メーデーが持つような「労働(Labor)」ではなく、より道徳的で国民的な「勤労(Diligence / Work)」を尊重する日へと、意図的に変更したのです。

これは、GHQの意向(政教分離)と、日本の伝統(収穫祭)を両立させるための、高度な政治的妥協の産物であったと言えます。

勤労感謝の日の意味と制定背景
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メーデーはなぜ祝日ではないのか?

ここでは「なぜメーデーは日本の祝日ではないのか?」という点について、深く掘り下げてみます。
世界80カ国以上で祝日とされているのに、その発祥国アメリカ(後述)と、日本が祝日としていないのは、なぜでしょうか。

一般的に挙げられている理由は、主に二つあります。

メーデーが祝日でない表向きの理由

  1. 経済活動への影響(ゴールデンウィーク)
    5月1日は、4月29日の「昭和の日」と5月3日の「憲法記念日」に挟まれた、いわゆるゴールデンウィーク期間中の平日にあたることが多いです。
    もしこの日も祝日にしてしまうと、大型連休がさらに長くなり(場合によっては10連休なども発生しやすくなり)、経済活動や社会インフラが長期間停止してしまうことへの懸念があるとされています。
  2. 勤労感謝の日の存在(趣旨の重複)
    すでに11月23日に、「勤労をたつとび、生産を祝う」という「労働」に関連する趣旨の祝日(勤労感謝の日)が国民の祝日として存在するため、5月1日にも同様の趣旨の日を設ける必要はない、という見解です。

しかし、これらの理由はあくまで「表向き」の側面が強いと、私は考えています。なぜなら、前述の通り、メーデーと勤労感謝の日の趣旨は「闘争(権利要求)」と「調和(相互感謝)」という点で、根本的に異なるからです。

より深い政治的・歴史的な背景として、やはり「戦後の政治的対立」の構図を無視することはできません。

戦後の日本において、メーデーはしばしば政府(特に自民党などの保守政権)や、日米安全保障条約に反対する、左派勢力(社会党や共産党)や労働組合の最大のデモンストレーションの場でした。「血のメーデー事件」はその象徴です。

政府の視点から見れば、自らへの反対運動や体制批判が最も盛り上がる日を、わざわざ「国民の祝日」として国家が公認することには、強い政治的抵抗があったことは想像に難くありません。

むしろ、政府としては、国家神道から切り離して再定義した「勤労感謝の日」こそを、国民的な「労働の日」として位置づけることで、政治的で急進的な(時には暴力的ですらあった)メーデーの存在感を、相対的に希薄化させたいという意図があったのではないでしょうか。

これらの政治的背景に関する見解は、歴史的な状況からの推察であり、公的に定められた理由ではありません。あくまで一つの解釈としてお読みいただければと思います。

メーデーや勤労感謝の日の違いに関するQ&A

ここまで二つの日の違いを深く見てきましたが、多くの方が疑問に持ちやすい、さらに踏み込んだ関連知識について、Q&A形式で分かりやすく解説していきます。

メーデーや勤労感謝の日の違いに関するQ&A
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アメリカが9月を祝う理由

「メーデーはアメリカのシカゴで始まったのに、なぜアメリカは5月1日を祝わないの?」という疑問は、この問題の核心を突く、非常に鋭いポイントです。

アメリカ合衆国が5月1日を「労働者の日」とせず、9月の第1月曜日を「レイバー・デー(Labor Day)」として国民の祝日にしていることには、メーデー誕生の背景にある、あの「ヘイマーケット事件」が深く関わっています。

ヘイマーケット事件は、労働運動が「社会主義」「共産主義」、そして「無政府主義(アナキズム)」といった、当時のアメリカ政府や資本家が恐れる急進的な思想と強く結びつけられるきっかけとなりました。これはアメリカにおける最初の「赤の恐怖(Red Scare=共産主義への恐怖)」とも言われます。

1894年、グロバー・クリーブランド大統領は、大規模な鉄道ストライキ(プルマン・ストライキ)を鎮圧した後、労働者たちへの懐柔策として「労働者のための祝日」を制定することを決定します。

しかしその際、5月1日の持つ「急進的」「国際主義的」「反体制的」なイメージを意図的に避けました。そして、すでに一部の州や、より穏健な労働組合(アメリカ労働総同盟=AFLなど)で祝賀行事が行われていた、9月の日付を「レイバー・デー」として選定し、国民の祝日として制定したのです。

結果として、非常にねじれた現象が起こりました。

  • 5月1日(メーデー)
    アメリカ発祥だが、当のアメリカからは「危険思想」として忌避され、主にヨーロッパや社会主義国において「国際労働者の日」として広まる。
  • 9月(レイバー・デー)
    アメリカ政府が公認する、国内向けの「穏健な労働者の日」として定着する。

これは、国家が承認する「労働の日」と、国際的な労働運動の「闘争の日」が、政治的に分離されたことを意味しています。

アメリカが9月を祝う理由
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春闘とメーデーの違いとは?

日本で働く私たちにとって、春先によく耳にする「春闘(しゅんとう)」も、労働組合が関わる活動ですが、メーデーとはその目的と形態が異なります。

春闘(しゅんとう)とは?
これは日本特有の労働運動の「プロセス(過程)」です。毎年春季(2月~3月頃)に、各産業の主要な労働組合が、一斉に経営側と「交渉」を行う一連の活動を指します。
主な議題は「賃金引き上げ(特にベア:ベースアップ)」ですが、労働時間短縮(時短)や一時金(ボーナス)なども交渉されます。

メーデーとは?
これは5月1日に開催される国際的な「イベント(集会)」です。春闘などで交渉した内容(成果や課題)も含め、労働者のより広範な権利(賃金、労働時間、非正規雇用者の待遇改善、ジェンダー平等など)を社会全体に広く「アピール」し、労働者の団結を確認するための集会やデモ行進が中心となります。

簡単に言えば、春闘が「会社(経営側)との具体的な交渉の場」であるのに対し、メーデーは「社会全体へのアピールと連帯の場」であると理解すると分かりやすいでしょう。

春闘とメーデーの違いとは?
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日本のメーデーの歴史と変遷

このトピックはH3「メーデーの目的と日本の現在」で詳細に触れましたが、特に重要な「血のメーデー事件」について、もう少し補足します。

1952年(昭和27年)5月1日、この日はサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が7年間の連合国(実質的には米軍)による占領から独立を回復した、まさにその3日後でした。

しかし、講和条約と同時に締結された「(旧)日米安全保障条約」により、米軍基地が日本国内に残り続けることへの反対運動が、労働組合や学生、左派政党を中心に高まっていました。

この年のメーデーは、単なる「労働者の祭典」ではなく、「占領終結後の日本のあり方」を問う、極めて政治色の強い集会となりました。「講和条約反対」「米軍の即時撤退」などを訴えるデモ隊の一部(特に全学連など)が、警察が使用を禁止していた皇居前広場に「人民広場」と称して侵入を試みました。

これに対し、警察隊は警棒や催涙ガスで応戦し、デモ隊は投石や火炎瓶(!)などで抵抗、広場は完全な市街戦の様相を呈しました。この衝突で、デモ隊側に死者2名、双方で2000名以上の負傷者が出るという、戦後史に残る大惨事となったのです。

この「血のメーデー事件」は、戦後日本のメーデーがいかに緊迫した政治的緊張の中で行われていたか、そして「労働運動」と「政治・イデオロギー運動」が不可分であった時代を象徴する出来事として記憶されています。

日本のメーデーの歴史と変遷
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勤労感謝の日は何をする日?

メーデーのような明確な活動(デモ)がない勤労感謝の日。では、私たちはこの祝日をどう過ごすのが、その趣旨に合っているのでしょうか?

前述の通り、この日は「新嘗祭」という明確な感謝の対象(神々、収穫)が、「勤労」「生産」「国民たがい」という、より広範で抽象的なものに置き換えられました。この結果、ある種の「感謝の真空状態」が生まれたと私は考えています。

しかし、その「真空」は、現代社会を生きる私たちによって、多様な形で再び埋められつつあります。

1. 単なる休日として

最も多い過ごし方かもしれません。多くの人にとっては、特定の活動を行う日ではなく、「ゆっくり寝る」「自宅でのんびり過ごす」「家族と出かける」ための、貴重な秋の休日として認識されています。日々の勤労の疲れを癒す日、という意味では、これも一つの立派な「勤労感謝」の形かもしれません。

2. 家庭内労働への感謝(家族へ)

「勤労」は、会社での仕事だけを指すのではありません。日々の家事や育児といった、報酬の発生しない「家庭内労働」も、家族の生活を支える尊い勤労です。
この日に、日頃の感謝を込めて、「いつもありがとう」とパートナーや親、子に伝えたり、プレゼントを贈ったり、家事を代わったりする日として認識されています。

3. 職場での感謝(同僚・上司へ)

祝日法には「国民たがいに感謝しあう」とあります。ある調査によれば、「同僚」「上司」「お客様」に感謝を伝えたいという意識はあるものの、実際に職場の人に感謝を伝えている人は約7割が「誰にも伝えていない」という回答だったそうです。

祝日当日は難しいかもしれませんが、この日をきっかけに、日頃一緒に働いている仲間に対して、感謝の気持ちを言葉や形で伝えてみるのも良いかもしれませんね。

4. 社会インフラへの感謝

近年、新しい感謝の形として注目されているのが、社会を支える「匿名の労働」への感謝です。
例えば、企業などがSNSで「#これ誰にお礼言ったらいいですか」といったキャンペーンを行い、私たちが日常的に利用している電気・ガス・水道、交通機関、物流、ゴミ収集、医療、コンビニなど、社会を24時間365日支えてくれている、顔の見えない人々(エッセンシャルワーカー)の労働に思いを馳せ、感謝を表明する動きも見られます。

勤労感謝の日は何をする日?
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このように、勤労感謝の日は、その抽象性ゆえに、私たちが「感謝したい」と思うあらゆる「働き」に光を当てることができる、柔軟で懐の深い祝日へと成長しているように思います。

まとめ:メーデーと勤労感謝の日の違い

最後に、この記事の要点をもう一度、簡潔にまとめます。

メーデー(5月1日)は、産業資本主義の矛盾の中で、労働者が自らの権利(8時間労働)を実力(ストライキ)で要求した、「下から上への闘争」の歴史を象徴する国際的な記念日です。その本質は「権利の主張」と「団結」にあります。

勤労感謝の日(11月23日)は、日本古来の「収穫感謝(新嘗祭)」という文化的な儀式が、戦後のGHQによる政治的意図(国家神道の解体)によって、世俗的な「相互感謝」へと「上から下への制定」を経て再定義された、日本独自の国民の祝日です。その本質は「勤労の尊重」と「相互感謝(調和)」にあります。

日本において、政治的で国際主義的な「メーデー」が祝日化されず、文化的で国内的な「勤労感謝の日」が国民の祝日として定着している事実は、日本の近代から現代に至る、労働運動、政治体制、そして文化の複雑な受容の歴史そのものを反映していると言えます。

この二つの日の違いを知ることは、単なる雑学に留まらず、私たちが今、当たり前に享受している「働く権利」や「祝日」が、どのような歴史的背景のもとに成り立っているのかを、深く考えるきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。

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