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七五三(しちごさん)という子供の行事と、神社などで見かける神聖な「しめ縄(しめなわ)」。

一見すると全く接点がなさそうですが、実は「しめ縄」には「七五三縄」という漢字表記が存在するのです。これが混乱の元ですよね。

では、子供の七五三が由来で「七五三縄」と呼ばれるようになったのでしょうか? それとも、しめ縄が由来で七五三という儀式が始まったのでしょうか?

この記事では、七五三としめ縄、それぞれの由来を詳しく解き明かしながら、なぜ同じ数字が使われるのか、その気になる関係性について解説します。また、しめ縄には注連縄や標縄、〆縄など様々な表記がある理由や、伊勢や高千穂地方で見られる特徴、神社と正月飾りの違いにも触れていきます。

この記事を読み終える頃には、二つの文化に共通する、日本の奥深い風習をご理解いただけるかと思います。

記事のポイント
  • 七五三縄という漢字の読み方と意味
  • しめ縄に七五三の数字が使われる理由
  • 子供の七五三儀礼の本来の由来
  • 二つの「七五三」の本当の関係性

七五三としめ縄の由来は同じ?関係性を解説

まずは、疑問の核心である「しめ縄」側から見ていきましょう。なぜ、しめ縄に「七五三」という数字が使われるのか、その表記の謎と、しめ縄が持つ本来の意味について解説します。このセクションを読み解くことで、「七五三縄(しめなわ)」という言葉が持つ、神道における深い意味が見えてくるはずです。

七五三としめ縄の由来は同じ?関係性を解説
日本の行事・風物詩ガイド

七五三縄という漢字の読み方

まず、読者の皆様が一番最初に知りたいであろう、この「七五三縄」という漢字の読み方です。これは、お子様の行事である「しちごさん」とは全く異なります。

これは「しめなわ」と読みます。

「しめ縄」という言葉には、実は非常にたくさんの漢字表記(当て字)が存在します。これは、古代の日本において「しめ(占め)」という概念(神様が占有する場所を示すこと)や、「しめ縄」という神具そのものがまず存在し、後からその機能や形状、音(おと)に合わせて様々な漢字が充てられていったためだと考えられています。

私たちが普段目にする代表的な表記には、以下のようなものがあります。

豆知識:「しめ縄」の多様な漢字表記と意味

  • 注連縄(しめなわ):
    最も一般的に使われる表記の一つです。
    「注連(ちゅうれん)」とは元々中国の風習で、死者の霊が家に戻ってこないよう、門に水を注ぎながら縄を張ったことに由来するとも言われます。
    神聖な場所を示し、不浄なものの侵入を「注(防)ぎ連ねる」という意味合いで使われるようになったとされています。
  • 標縄(しめなわ):
    これも古い表記で、「標(しるし)」、つまり神域と俗世を分ける「境界線の目印」という意味を強く持つ表記です。
    ここから先は神様の領域ですよ、ということを示すための縄、という非常に分かりやすい表現ですね。
  • 〆縄(しめなわ):
    「〆」という字は、「占める」や「閉める」に通じます。神様が「占有する」場所であること、不浄なものを「閉め出す」ことを示す、機能的な側面を表した表記です。
  • 七五三縄(しめなわ):
    そして、今回のテーマであるこの表記です。これは上記3つとは異なり、機能ではなく「しめ縄の形状・デザイン」に由来する表記です。これについては、次のセクションで詳しく解説します。
  • 尻久米縄(しりくめなわ):
    古事記の「天岩戸隠れ」の神話において、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が再び岩戸に入れないよう、岩戸の入り口に張られた縄が「尻久米縄」であると記されています。
    これがしめ縄の起源とも言われ、「しりくめ」が「しめ」に転じたという説もあります。
七五三縄という漢字の読み方
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このように、「しめ縄」という一つの言葉に多様な漢字が充てられていること自体が、この神具が日本の文化や信仰の中で、いかに多様な意味を持ち、古くから大切にされてきたかを示していると私は思います。

その中で「七五三縄」という表記がなぜ生まれたのか、その理由こそが今回の疑問を解くカギとなります。

しめ縄になぜ七五三の数字が使われる?

では、なぜ数ある表記の中に、子供の儀礼と全く同じ「七・五・三」という数字を使った「七五三縄」という表記が生まれたのでしょうか。

その理由は、前のセクションでも触れましたが、子供の年齢とは一切関係ありません。

理由は、しめ縄の具体的な「形状」にあります。

しめ縄には、太い縄本体から、稲藁(いなわら)を束ねた「房(ふさ)」が何本か垂れ下がっているデザインのものがあります。この垂れ下がった藁束のことを「しめの子」と呼ぶこともあります。

そして、この房(しめの子)の数が、七本・五本・三本に分けて束ねられている、あるいはその順番で垂らされているデザインのしめ縄が存在するのです。

この「七・五・三」に分かれた房を持つ独特で神聖なデザインこそが、「七五三縄」という表記の直接的な由来であるとされています。

つまり、「七五三縄」という表記は、「神域を示す縄」という機能全般を指す「標縄」や「注連縄」とは少し異なり、「七・五・三の房を持つ、特定の神聖なデザインのしめ縄」を具体的に示していた表記だったのです。

しめ縄となぜ七五三の数字が使われる?
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では、なぜ「七・五・三」という数が選ばれたのでしょうか?

これには、日本古来の「数霊(かずたま)」や、中国から伝わった陰陽思想が深く関わっていると考えられています。詳しくは記事の後半(「なぜ七五三という数字が共通するのか」)で解説しますが、日本では古くから奇数(1, 3, 5, 7, 9...)は「陽数(ようすう)」と呼ばれ、縁起の良い「吉数」または「聖数」として尊ばれてきました。

神聖な結界であるしめ縄を、最も縁起の良い聖数である「七・五・三」で装飾することにより、その神聖性や魔よけの力をさらに高めようとした、昔の人々の祈りや願いが込められたデザインだったのではないかと私は思います。

しめ縄の由来と本当の意味

「七五三縄」という表記が、しめ縄の神聖なデザインに由来することが分かりました。では、その大元である「しめ縄(注連縄)」自体は、そもそもどのような由来と意味を持つ神具なのでしょうか。

しめ縄の最も根源的で大切な役割は、大きく分けて二つあります。それは「結界(けっかい)」「清浄(せいじょう)の維持(魔よけ)」です。

しめ縄の二大機能

  1. 境界を示す【結界】:
    神様の領域(常世)と人間の領域(俗世)を分ける。
  2. 清浄を保つ【魔よけ】:
    神聖な場所に不浄なものや邪気が入るのを防ぐ。

「結界」としての役割(常世と現世)

しめ縄の第一の役割は、「境界線を示す」ことです。

神道では、神様がいらっしゃる神聖な領域を「常世(とこよ)」、私たち人間が暮らす世界を「現世(うつしよ)=俗世」と呼び、この二つは明確に区別されるべきものと考えられてきました。

しめ縄は、この「常世」と「現世」を分ける「結界」そのものとして機能します。「ここから先は、神様がおられる清浄な場所ですよ」ということを、物理的に、そして視覚的に示すための最も重要な神具なのです。

この役割から、しめ縄は神社の社殿(拝殿)や鳥居はもちろんのこと、神様が宿ると信じられている対象(神籬・ひもろぎ)や、特に神聖とされる場所にも張られます。

  • 御神木(ごしんぼく):
    神様が宿るとされる古い巨木
  • 磐座(いわくら):
    神様が降臨するとされる大きな岩
  • 夫婦岩(めおといわ):
    二つの岩が寄り添うように見えるもの
  • 井戸:
    水神様がおられる場所

これらにしめ縄が張られているのは、「この木や岩は単なる自然物ではなく、神様が宿る神聖な対象(御神体)ですよ」ということを示しているのです。

「魔よけ」としての役割(不浄を防ぐ)

結界を張るということは、同時に「そこから先への侵入を防ぐ」という意味も持ちます。

神聖な「常世」は、常に清浄でなければなりません。しめ縄は、その清浄な領域に、外(現世)から不浄なものや邪気、災厄といった「悪いもの」が入り込むのを防ぐ「魔よけ」の機能も果たします。

特に伊勢地方などでは、しめ縄が疫病退治の文脈で語られることもあり、古くから災厄を防ぐための呪術的な意味合いも強く持っていたことがうかがえます。私たちがしめ縄を見ると、どこか背筋が伸びるような、清らかな気持ちになるのは、この「清浄さの象徴」としての役割を無意識に感じ取っているからかもしれません。

しめ縄の張り方に見る「神道」の思想

しめ縄が単なる飾りではなく、高度に体系化された神道のシンボルであることは、その「張り方(向き)」にも表れています。

しめ縄は、稲藁を綯(な)う(=より合わせる)ことで作られますが、その際、縄の太い「綯い始め(ないはじめ)」と、細い「綯い終わり」ができます。

神道では一般的に、神様から見て「右」を上位、「左」を下位とする思想があります。そのため、神社でしめ縄を張る際は、神様に向かって右側(つまり、私たちが神様に向かい合った場合は左側)に、縄の太い「綯い始め」が来るように張るのが通例です。これを「向かって左上位」と呼びます。

しめ縄の由来と本当の意味
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重要な例外:出雲大社

しかし、これには非常に有名な例外が存在します。それは、島根県の出雲大社です。

出雲大社では、本殿内の神座の配置(神様が西を向いておられる)などから、逆に「左」を上位とする独自の習わしがあるとされています。そのため、出雲大社では、私たちが拝殿で目にする巨大なしめ縄(大注連縄)は、一般的な神社とは逆で、私たちが向かい合った場合は右側に太い「綯い始め」が来るように張られています。

(※出雲大社の神楽殿の大注連縄は、他の神社と同じ「向かって左上位」であり、拝殿のしめ縄が逆向きであるとされています。このように神社内でも場所によって異なる場合があり、非常に奥深いです。)

熊野大社(島根県)や大山祇神社(愛媛県)なども、出雲大社と同様に「向かって右上位」であると言われています。

しめ縄の張り方一つにも、その神社の由緒や、日本神話の解釈(伊勢系・出雲系)の違いが反映されており、日本の信仰がいかに多様であるかを感じさせられます。

伊勢や高穂地方との関係

先ほど、「七・五・三」の房を持つ「七五三縄」のデザインについて触れましたが、この風習は特に一部の地域に色濃く残っていると言われています。

それが、三重県の伊勢地方と、宮崎県の高千穂地方です。

なぜ、これらの地域なのでしょうか。これは私の考察も含まれますが、どちらも日本神話において最も重要な聖地であることが深く関係していると思います。

伊勢地方のしめ縄文化

伊勢といえば、皇室のご祖先であり、日本国民の総氏神ともされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする「伊勢神宮(内宮)」がある、日本で最も神聖な場所の一つです。

伊勢地方では、他の多くの地域が正月だけにしめ縄を飾るのに対し、「一年間しめ縄を飾っておく」という独特の風習が広く見られます。玄関先には「笑門(しょうもん)」「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんのかもん)」といった木札と共にしめ縄が飾られ、一年を通じて常世(神域)との繋がりを意識し、災厄を祓う生活が根付いています。

このような日本でも特に信仰の篤い地域において、しめ縄のデザインが「七・五・三」という聖数を用いて神聖化されたのは、非常に自然な流れだったのではないでしょうか。

高千穂地方のしめ縄文化

一方、宮崎県の高千穂地方は、伊勢神宮にお祀りされている天照大御神の「お孫さん」にあたる神様、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天界から初めて地上に降り立ったとされる「天孫降臨(てんそんこうりん)」の地として知られる神話の里です。

高千穂神社で夜ごと行われる「高千穂夜神楽(よかぐら)」は有名ですが、この地域にも独特のしめ縄文化が残っています。高千穂のしめ縄は、「七五三縄」のデザイン(七・五・三の房)が見られる代表的な例としてしばしば挙げられます。

神様が天から降り立った「聖地」である高千穂において、神域を示すしめ縄に聖数である「七・五・三」を用いることは、その土地の神聖性を守り、称えるための重要な意味を持っていたと考えられます。

このように、伊勢や高千穂といった神話に直結する特別な聖地において、「七五三縄」の意匠が大切に受け継がれてきたことは、このデザインが単なる飾りではなく、深い信仰に基づいたものであることの証左だと私は思います。

神社と正月飾りのしめ縄の違い

しめ縄は神社や聖地といった「公」の場所だけでなく、私たち「個人」の家庭でも非常に重要な役割を持っています。

ただし、家庭で用いる場合、「神棚に飾るしめ縄」と「お正月に玄関に飾るしめ飾り」は、似ているようでその目的や意味合いが少し異なります。この違いを理解することも、しめ縄という文化を深く知る上で大切です。

家庭の神棚の「しめ縄」

ご家庭に神棚をお祀りされている場合、そこに「しめ縄」を設置することが多いかと思います。

これは、役割としては神社と全く同じです。

神棚は、家庭の中にお神札(おふだ)をお祀りするための「小さな神社」であり、神様のいらっしゃる神聖な領域です。そこに「しめ縄」を張ることで、「ここは俗世である家の中とは区別された、清浄な結界ですよ」ということを示し、神様をお守りする(不浄を寄せ付けない)という意味があります。

このため、神棚のしめ縄は、基本的にはお正月が過ぎても(一年間、あるいは次の交換時期まで)張っておくのが一般的です。

玄関の「しめ飾り」(正月飾り)

一方、私たちが「しめ縄」と聞いて最も身近に感じるのは、お正月に玄関に飾る「しめ飾り」かもしれません。

これも「しめ縄」の一種ではありますが、神棚のものとは少し目的が異なります。

お正月の「しめ飾り」の最も重要な役割は、お正月に山からやってきてくださる「年神様(歳神様)」を我が家にお迎えするため、「ここは年神様をお迎えするのにふさわしい、清浄な場所です」ということを示す「目印(マーカー)」の役割です。

年神様は、私たちに新年の幸福や五穀豊穣をもたらしてくれる、非常に大切な神様です。その神様に「私の家はきちんと清めて準備していますから、どうぞお入りください」とお伝えするための、いわば「歓迎のサイン」なんですね。

そのため、神棚のしめ縄がシンプルな稲藁のデザインであるのに対し、玄関の「しめ飾り」は、年神様への歓迎の意を込めて、様々な「縁起物」で華やかに装飾されているのが特徴です。

しめ飾りの「縁起物」の例とその意味

  • 橙(だいだい):
    「代々」栄えるように、という子孫繁栄の願い。
  • 裏白(うらじろ):
    シダ植物の一種。葉の裏が白いことから「心の潔白さ」や「白髪になるまで」の長寿を願う。
  • ゆずり葉:
    新しい葉が出ると古い葉が落ちることから、家系が「代を譲り」途切れないこと(子孫繁栄)を願う。
  • 紙垂(しで):
    白いギザギザの紙。神聖さの象徴であり、稲妻(豊作)を表すとも言われる。

どちらも「神聖な場所を示す」という点では共通していますが、神棚の「しめ縄」が常設の結界であるのに対し、玄関の「しめ飾り」は年神様をお迎えするための特別な目印、という側面が強いと言えます。

子供の七五三と、しめ縄の由来を比較

さて、ここまでで「しめ縄」の由来と、「七五三縄(しめなわ)」という表記の謎が解けました。しめ縄の起源は「神聖な結界」であり、その意匠(デザイン)の一つに「七・五・三」の房の数を用いたものが存在した、ということですね。

では、いよいよ本題のもう一方の主役、子供の「七五三(しちごさん)」儀礼の由来について、詳しく比較しながら見ていきましょう。ここを理解することで、なぜ二つの文化が同じ数字を共有しているのか、その本当の理由が明らかになります。

子供の七五三と、しめ縄の由来を比較
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子供の七五三儀礼の由来

子供の成長を祝う「七五三(しちごさん)」は、今や日本の秋の風物詩として、多くのご家庭で行われる大切な行事です。

この儀礼の根底にあるのは、「子供が無事に育ったことへの感謝」「これからの健やかな成長への祈り」です。

現代の日本では当たり前のように感じられるかもしれませんが、昔の医療が未熟だった時代、子供の死亡率は非常に高く、「七歳までは神のうち(神様からの預かりもの)」と言われるほど、子供が無事に育つことは大変なことでした。特に乳幼児期の「厄」を乗り越えることは、家族にとって切実な願いだったのです。

その節目の年齢に、無事に育ったことを地域の守り神である「氏神様(うじがみさま)」やご先祖様に感謝し、報告する。そして、これからの更なる成長をお祈りするのが、七五三という人生儀礼の本質です。

この「七五三」という行事の直接的なルーツは、江戸時代の武家社会などを中心に行われていた、以下の三つの異なる儀式に遡ることができるとされています。(出典:神社本庁公式サイト『七五三』

七五三の元になった3つの儀式

これらの儀式は、子供が「子供」の領域から「大人(社会)」の領域へ、段階的に移行していくための大切な通過儀礼でした。

3歳「髪置(かみおき)」 (男女)

平安時代には、男女問わず生まれてから頭を清潔に保つ(病気予防)ために髪を剃る習慣があり、3歳頃から髪を伸ばし始める「髪置」の儀式が行われました。それまで「神の子」であった子供が、この儀式を経て「人」の子として認められる第一歩とも言われました。

5歳「袴着(はかまぎ)」 (男子)

男の子が初めて公の場で正装である「袴(はかま)」を着用する儀式です。「着袴(ちゃっこ)」とも呼ばれます。小さな男の子が大人の男性と同じ(あるいは子供用の)袴を履くことで、社会の一員としての自覚を持つ、幼年から少年へと移行する重要な儀式でした。碁盤の上から飛び降りる「深曽木の儀(ふかそぎのぎ)」を行う風習も、これに関連しています。

7歳「帯解(おびとき)」 (女子)

女の子が、それまで使っていた子供用の着物(付け紐)を解き、初めて大人と同じ本格的な「帯(おび)」を締める儀式です。「紐解き」とも呼ばれます。これは、女の子が幼女から少女へと成長し、大人の女性への第一歩を踏み出すことを意味しました。

子供の七五三儀礼の由来
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「七五三」という"文化"の成立

ここで非常に重要なポイントがあります。

3歳、5歳、7歳の個別の儀礼は、上記のように江戸時代(あるいはそれ以前の平安時代)から公家や武家の間で行われていました。しかし、現代の私たちが知るような、この三つを一つのパッケージにした「七五三」という名前の国民的行事として全国的に定着したのは、明治時代以降のことだとされています。

明治政府が、家父長制や国家への忠誠といった武家社会の倫理観を国民に広める一環として、これらの旧来の儀礼を「国民文化」として再編成し、奨励した側面があるようです。特に東京では、1920年(大正9年)に創建された明治神宮が、初詣や七五三の参拝先として人気を博したことも、全国に広まる一つのきっかけとなったと言われています。

事実、関西地方などでは、七五三が一般的に行われるようになったのは第二次世界大戦の後であるとも言われており、その歴史は、古代の神道思想にまで遡る「しめ縄」とは、成立の経緯が根本的に異なることがわかります。

7歳の帯解の儀としめ縄は無関係

「七五三 しめ縄」と検索される方の中には、「7歳」「帯」といったキーワードの連想から、「7歳の『帯解の儀』で使う“帯”と“しめ縄”が、名前や形状が似ているから関係あるのでは?」と考える方もいらっしゃるかもしれません。

特に、しめ縄の中には神社の拝殿にあるような太いものだけでなく、細い縄もありますし、帯の中にも「帯締め」のような細い紐もありますから、混同してしまうのも無理はないかもしれません。

しかし、これも明確に関係ありません。

「帯解の儀」の帯は「しめ縄」ではありません

両者は、素材も用途も全く異なるものです。

  • 7歳の「帯(おび)」:
    これは着物の上に締める、絹などで作られた「呉服(服飾品)」です。
    7歳の「帯解の儀」で用いられるのは、大人の振袖に用いるような華やかな「袋帯(ふくろおび)」や「丸帯」などです。子供用に芯を薄くして仕立て直すことはあっても、その本質は「着るもの」です。
  • しめ縄(七五三縄):
    これは神域を示すために使われる「神具」です。主な素材は「稲藁(いなわら)」です。
    豊穣の象徴である稲藁を綯(な)って作られ、神様の結界として使われます。

このように、7歳の「帯解の儀」で使う「帯(おび)」と、神具である「縄(なわ)」は、全くの別物です。したがって、7歳の儀式としめ縄の間にも、直接的な関連性は存在しません。

結局、七五三としめ縄の関係は?

ここまで、二つの「しちごさん(しめなわ)」を詳しく見てきました。それぞれの由来を比較検討した結果は、以下の表の通りです。

「しめ縄(七五三縄)」と「七五三(儀礼)」は、それぞれ全く異なる由来を持っていることが、これではっきりと分かりました。

項目① しめ縄(七五三縄)② 七五三(儀礼)
読みしめなわ (shimenawa)しちごさん (shichigosan)
起源古代の神道思想(結界)江戸時代の武家社会の儀礼
中核概念「結界」「清浄」「魔よけ」「成長への感謝」「氏神への報告」
「七・五・三」の由来縄から垂れる房(藁束)の数
(伊勢・高千穂の特定の意匠)
儀礼を行う子供の年齢
(3歳・5歳・7歳)
成立時期不明(古代)明治時代以降(国民文化として)

この表から明らかなように、子供の「七五三(儀礼)」が「しめ縄」の由来であったり、その逆(しめ縄のデザインが子供の儀礼の由来)であったりするという、直接的な因果関係は存在しないことがはっきりします。

「七五三縄(しめなわ)」という言葉が先にあり、そこから子供の「七五三(しちごさん)」儀礼が生まれたわけではないのです。

では、なぜ。なぜこの二つの全く異なる文化事象が、偶然(?)にも「七・五・三」という、全く同じ数字の組み合わせを共有することになったのでしょうか。

それこそが、この疑問の最も面白く、奥深い核心部分です。

なぜ七五三という数字が共通するのか

直接的な因果関係はない。しかし、二つの文化は「七・五・三」という数字で繋がっている。

この謎を解くカギは、日本文化の基層に古くから流れる「数(かず)」に対する信仰にあります。

それは、「七五三(儀礼)」も「七五三縄(しめ縄の意匠)」も、それぞれが独立して、日本文化の奥底に古くから流れる「七・五・三という奇数(陽数)を、吉数・聖数として尊ぶ思想」を拠り所としているためだと、私は考えています。

陰陽思想と奇数(陽数)

古代中国から伝わった「陰陽思想(いんようしそう)」では、万物は「陰」と「陽」の二つの性質に分けられると考えました。例えば、「月」は陰、「太陽」は陽。「偶数」は陰、「奇数」は陽、といった具合です。

この思想において、「奇数」は「陽数(ようすう)」と呼ばれ、縁起の良い、活動的で明るいエネルギーを持つ「吉数」として尊ばれました。

この思想は日本にも取り入れられ、日本古来の数霊(かずたま)信仰とも結びつきました。例えば、3月3日の「桃の節句」(3が重なる)、5月5日の「端午の節句」(5が重なる)、7月7日の「七夕」、9月9日の「重陽の節句」(9が重なる)など、奇数が重なる日を「節句」としてお祝いし、厄を祓う風習が定着しました。

中でも「七」「五」「三」は、特に重要な吉数・聖数とされてきました。(「一」は始まりの数、「九」は陽の極まる数として別格扱いされることもあります)

なぜ七五三という数字が共通するのか
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なぜ「7, 5, 3」だったのか?

この「七・五・三」という組み合わせが、なぜこれら二つの文化に共通して選ばれたのでしょうか。

それは、この二つの文化が、どちらも「厄を払い、神聖性や吉兆を願う」という共通の目的を持っていたからだと考えられます。

  • 子供の「七五三」の場合:
    3歳、5歳、7歳という年齢は、医学的に見ても乳幼児期から少年少女期へと移行する、心身ともに不安定で病気や怪我をしやすい「厄年」のような節目でした。
    この不安定な「厄」の年齢を、最も縁起の良い「陽数(吉数)」である3歳・5歳・7歳の力で乗り越え、健やかな成長を願う。まさに「厄払い」と「吉兆」を願う儀礼です。
  • しめ縄の「七五三縄」の場合:
    神聖な結界である「しめ縄」は、不浄や災厄(=厄)を祓うためのものです。
    そのしめ縄を、聖なる数である「七本・五本・三本」の房で装飾することは、その「魔よけ(厄払い)」の力を最大化し、その場所の「神聖性(吉兆)」を高めるための、最強のデザインだったと言えます。

両者は「由来」を同じくするわけではありませんでした。しかし、「七・五・三」という数字に特別な「厄を祓う力」「神聖な力」を見出す、共通の「文化的ルーツ」を共有していたのです。

七五三としめ縄の由来、その結論

結論として、子供の成長を祝う儀礼である「七五三(しちごさん)」と、神の領域を示す神具である「しめ縄(しめなわ)」の間に、どちらかがどちらかの由来になったという直接的な起源のつながりは確認できませんでした。

しかし、「七五三としめ縄の由来は?」という疑問は正当です。なぜなら、「しめ縄」には「七五三縄」という表記が実在するからです。

その表記の由来は、子供の「年齢」ではなく、伊勢や高千穂地方のしめ縄に見られる、縄から垂らされた「房(藁束)の数が七・五・三」であるという、神聖なデザインにありました。

一方で、子供の「七五三」は、3歳・5歳・7歳という「年齢」の節目を、厄祓いと成長祈願のために祝う儀礼です。

つまり、この二つは「七・五・三という数字を神聖なもの、縁起の良いもの(吉数・陽数)とする、日本の古くからの信仰」という一つの大きな水源から分かれた、二つの異なる文化の川であると言えるのです。

一見すると全く無関係に見えた二つの風習が、こうした「数字への信仰」という、目には見えない文化的な基層を通じて深く繋がっている。そう考えると、日本の行事や風物詩は本当に奥深く、面白いものだなと、私自身も改めて感じさせられました。

お子様の七五三のお祝いや、新年を迎えるしめ縄の準備をされる際には、ぜひこの「七・五・三」という数字に込められた、厄を祓い、清浄を願う古来の人々の祈りに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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